学園の歴史
「心で縫う」・・・創始者大原マサの情熱を
大正、昭和、平成・そして未来へと受け継いで
創始者・大原マサが着る人の視点に立った『着やすいきもの』を一生懸命に求めた末に辿りついたところが人間国宝の和裁技術でした。その半生をかけて辿りついた技術を次代を担う人材に教え伝えたいという思い。この思いで大原和服専門学園が創設されました。そして人間国宝の和裁技術がゴールではなく、着る人―時代が変わるとともにその技術も変わるということを忘れないため『裁心縫』(着用する人を思って心で裁って縫う)という言葉を大切にしてきました。技術の一人歩きではなく、着る人があってこそ生きる和裁技術を目指してきました。本校では、創設から大切にしてきたその思いを守り続け、時代の変化とともに挑戦し、かけがえのないニッポンの心を未来に受け継いでいきたいと考えています。
大原マサ作品
唐衣裳
十二単の名で知られている平安時代以降の貴族女性の正式な衣装で、有職古典裁縫講師の資格取得を契機に製作をしたものです。唐衣、裳をつけ、表着、打衣、重袿、単を重ねて張袴をはきます。五衣といわれる袿は、下に重ねるほど少しずつ裄、丈が大きく仕立てられ、袖口、裾から重ねが見えるように工夫がこらされました。
手縫い総割り仕立蛤褄打掛
この打掛は、袖縫い、裾合わせ、褄にいたるまで割り縫いで、1針1針さし縫いをしていく技法は、手縫いではこの上ない技法で仕立て上げられています。
御殿仕立特別本比翼振袖
この振袖は、掛下用に製作したもので、表身頃も裏身頃も裾合わせに至るまですべて割り縫い仕立て、御殿比翼ともいいます。御殿仕立てとは、比翼仕立ての最高のものをいい、衿肩廻りから身八つ口まで二枚襲にみえる高級な特別仕立てです。
本身裁初着二枚襲
外見は普通の初着と変わらないのですが裁ちあわせに工夫があり、縫い目を解けば長着と同じようになり、子女が大きくなるにつれて、長着または長襦袢としても利用できます。
(昭和33年実用新案登録第457416号)
沿革
大正13年 | 大原裁縫所設立 |
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昭和31年 | 奈良県から私立学校設置の認可を得て、公認大原服装学校と称する |
昭和39年 | 法人組織にし、学校法人大原学園と称する |
昭和51年 | 三碓寮新築 |
昭和53年 | 学校教育法改正により専門学校に昇格 |
昭和55年 | 現校舎完成 |
平成2年 | 創始者故大原マサ、永年の和裁教育の貢献に対して、勲六等宝冠賞を受賞 |
平成7年 | 針塚を建立 |